TOYOTA CORONA JTCC!完成しました
キットは1994年シリーズチャンピオンを獲得した
マシンを再現しています
92年にグループC、93年にグループAが終了し
その穴を埋めるため
94年に全日本GT選手権とJTCCがスタートしました
色々な見方はあるようですが
グループCは全日本GT選手権JGTC
グループAは全日本ツーリングカー選手権JTCCが後継という形で
レースがはじまりました
当時世界的にツーリングカーはグループA規定から
クラス2ツーリング規定に移っており
JTCCもそのクラス2ツーリング規定を採用し発足しました
クラス2ツーリングは2L自然吸気エンジンの
4ドアセダンがベースのマシンです
当時多くの日本メーカー車両がBTCCに参戦していることもあり
マシンを流用してレースを始めやすかったという事情もあったようです
トヨタはトヨタGBが走らせていたカリーナE(コロナの現地名)
をベースにTRDでエンジン、足回りを中心に改良が施され
JTCCに投入されました
TOM’SではNo36とNo37の2台体制で参戦し
No36は関谷正徳選手が駆り
BMWワークス シュニッツアーのスティーブ・ソーパー選手と
チャンピオン争いを繰り広げました
94年JTCC開幕の年
チャンピオン争いは以下の3選手に絞られ
1:セルモ トム・クリステン選手
2:シュニッツアー スティーブ・ソーパー選手
3:トムス 関谷正徳選手
の順で最終戦まで縺れ込んでいました
JTCCは1開催2レース制のスプリントレース
関谷選手は第一レース サイティングラップでスピンして
厳しい状況になりましたが
フォーメーションラップでスティーブ・ソーパ―選手が
燃料系トラブルでピットイン
トム・クリステン選手が優位と思われましたが
アクシデントで赤旗が出て関谷選手とソーパー選手はグリットに戻れました
レースが始まるとトム・クリステン選手は3周でサストラブルによってリタイア
スティーブ・ソーパ―選手も燃料系トラブルが再発しリタイア
関谷選手は6位でゴールしポイントを獲得しソーパ―選手を逆転
トム選手と2点差まで詰め寄り
第二レースの結果次第で逆転チャンピオンの可能性が高くなりました
第二レースではトムスの関谷選手がスタート専用ギヤを捨て
周回タイム重視のギヤを重視したギヤボックスに換装し
レースに臨みました
第二レースでソーパ―選手、トム選手ともに
後方からの追い上げでしたが猛烈な追い上げで上位へと進出し
関谷選手はソーパー選手に抜かれるなど
ゴールまで気の抜けない状況となりました
21周レースの20周目、関谷選手はタイヤのタレて来た
ソーパ―選手をコーナーでかわし3位浮上
この時周回タイムを優先したギヤ比が
関谷選手のコーナーでの有利性を生んだのかもしれません
結果関谷選手はポイント逆転しJTCC初代チャンピオンに輝きました
この年のチームチャンピオンもTOM’Sが獲得
初期のJTCCではエアロパーツの装着が許されていなかったので
外観はノーマル
しかし、19インチ化されたホイールと
フェンダーにホイルが被ってしまうほど下げられた車高
ギリギリまで下げられた車高とフルラッピングされたボディは
街中では地味なセダンをカッコイイレーシングカーに変貌させています
キットは多少のあわせは必要ですが普通に組むだけで
JTCCマシンの雰囲気を再現できます
JTCCではアコードやエクシブが人気があるように思えますが
初代チャンピオンのコロナをキット化してくれるなんて
嬉しい限りです
JTCCは魅力的なレースでしたが開催された期間は僅か5年
コストを抑えエントリーしやすいカテゴリーのはずが
開発競争の激化で参戦するエントラントが減少し終息してしまいました
もう少しJTCCが続いていれば
もっとカッコイイ4ドアセダンが生まれていたのかな?
と車を組立てながら考えてしまいました
そういえばBEEMAXはアオシマではなく
プラッツで商品展開していくようですね
出来ればブラバムBT52を再販して欲しいな~
BT52は買いそびれたのでお願いしたい!
最近は古いレーシングカー、市販車のキットが人気で
各メーカー新規キットを販売されていて嬉しいのですが
現在のレーシングカー、市販車が少なく
古い車、当時を知るユーザーによって
支えられているのだなと感じます
自分も現在の車にはあまり魅力を感じず
古い車が好きなユーザーのひとりではあるのですけどね
レーシングカー、市販車などの技術は
成熟する前の発展途上の方が多様性があって面白いと思うし
発展途上の未熟さに人間味を感じる所もあるのかなと
考えたりします
もちろん成熟した技術も面白い素晴らしいところはあります
でも一番の原因はおっさんだからでしょうね(笑)
さて積みプラでも崩そう(^^♪
(^.^)/~~~
キットは1994年シリーズチャンピオンを獲得した
マシンを再現しています
92年にグループC、93年にグループAが終了し
その穴を埋めるため
94年に全日本GT選手権とJTCCがスタートしました
色々な見方はあるようですが
グループCは全日本GT選手権JGTC
グループAは全日本ツーリングカー選手権JTCCが後継という形で
レースがはじまりました
当時世界的にツーリングカーはグループA規定から
クラス2ツーリング規定に移っており
JTCCもそのクラス2ツーリング規定を採用し発足しました
クラス2ツーリングは2L自然吸気エンジンの
4ドアセダンがベースのマシンです
当時多くの日本メーカー車両がBTCCに参戦していることもあり
マシンを流用してレースを始めやすかったという事情もあったようです
トヨタはトヨタGBが走らせていたカリーナE(コロナの現地名)
をベースにTRDでエンジン、足回りを中心に改良が施され
JTCCに投入されました
TOM’SではNo36とNo37の2台体制で参戦し
No36は関谷正徳選手が駆り
BMWワークス シュニッツアーのスティーブ・ソーパー選手と
チャンピオン争いを繰り広げました
94年JTCC開幕の年
チャンピオン争いは以下の3選手に絞られ
1:セルモ トム・クリステン選手
2:シュニッツアー スティーブ・ソーパー選手
3:トムス 関谷正徳選手
の順で最終戦まで縺れ込んでいました
JTCCは1開催2レース制のスプリントレース
関谷選手は第一レース サイティングラップでスピンして
厳しい状況になりましたが
フォーメーションラップでスティーブ・ソーパ―選手が
燃料系トラブルでピットイン
トム・クリステン選手が優位と思われましたが
アクシデントで赤旗が出て関谷選手とソーパー選手はグリットに戻れました
レースが始まるとトム・クリステン選手は3周でサストラブルによってリタイア
スティーブ・ソーパ―選手も燃料系トラブルが再発しリタイア
関谷選手は6位でゴールしポイントを獲得しソーパ―選手を逆転
トム選手と2点差まで詰め寄り
第二レースの結果次第で逆転チャンピオンの可能性が高くなりました
第二レースではトムスの関谷選手がスタート専用ギヤを捨て
周回タイム重視のギヤを重視したギヤボックスに換装し
レースに臨みました
第二レースでソーパ―選手、トム選手ともに
後方からの追い上げでしたが猛烈な追い上げで上位へと進出し
関谷選手はソーパー選手に抜かれるなど
ゴールまで気の抜けない状況となりました
21周レースの20周目、関谷選手はタイヤのタレて来た
ソーパ―選手をコーナーでかわし3位浮上
この時周回タイムを優先したギヤ比が
関谷選手のコーナーでの有利性を生んだのかもしれません
結果関谷選手はポイント逆転しJTCC初代チャンピオンに輝きました
この年のチームチャンピオンもTOM’Sが獲得
初期のJTCCではエアロパーツの装着が許されていなかったので
外観はノーマル
しかし、19インチ化されたホイールと
フェンダーにホイルが被ってしまうほど下げられた車高
ギリギリまで下げられた車高とフルラッピングされたボディは
街中では地味なセダンをカッコイイレーシングカーに変貌させています
キットは多少のあわせは必要ですが普通に組むだけで
JTCCマシンの雰囲気を再現できます
JTCCではアコードやエクシブが人気があるように思えますが
初代チャンピオンのコロナをキット化してくれるなんて
嬉しい限りです
JTCCは魅力的なレースでしたが開催された期間は僅か5年
コストを抑えエントリーしやすいカテゴリーのはずが
開発競争の激化で参戦するエントラントが減少し終息してしまいました
もう少しJTCCが続いていれば
もっとカッコイイ4ドアセダンが生まれていたのかな?
と車を組立てながら考えてしまいました
そういえばBEEMAXはアオシマではなく
プラッツで商品展開していくようですね
出来ればブラバムBT52を再販して欲しいな~
BT52は買いそびれたのでお願いしたい!
最近は古いレーシングカー、市販車のキットが人気で
各メーカー新規キットを販売されていて嬉しいのですが
現在のレーシングカー、市販車が少なく
古い車、当時を知るユーザーによって
支えられているのだなと感じます
自分も現在の車にはあまり魅力を感じず
古い車が好きなユーザーのひとりではあるのですけどね
レーシングカー、市販車などの技術は
成熟する前の発展途上の方が多様性があって面白いと思うし
発展途上の未熟さに人間味を感じる所もあるのかなと
考えたりします
もちろん成熟した技術も面白い素晴らしいところはあります
でも一番の原因はおっさんだからでしょうね(笑)
さて積みプラでも崩そう(^^♪
(^.^)/~~~
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